ジョンミューアトレイル単独全踏破紀行

12年になるカナダ生活から得たモットーは、「人生において転ぶことは避けられぬ、転んだあとにどう起きるかどうかが、生きる力なのだ!」というわけで、35歳独身、夏に突然彼氏に別れを告げられ向かった先は、大学時代から夢見続けること15年、カリフォルニア州のジョンミューアトレイル(JMT)。バックパックとわが身一つで、たった一人、山越え谷越え、370キロを超すロングトレイルを歩き抜いた日々、たくさんの人と分かち合いたいとの思いで、始めました。きっと、何か良いものをお届けできるだろうと、願いをこめて…。
本を綴るようなスタイルで書いていますので、はじめての方は、最初の記事から遡ってお読みください。

パーミット、最初にして最大の難関


夢が、高いところに、ぼんやりぴかぴか漂っている存在から、実際に向かっていくべき目標になったとき。
走り続けた目標が、実際に手の中にやってきて、日常生活になったとき。
そしてその日常生活が終わって、過去のものとなったとき。


このブログでは、これから時間をかけて、そんな経緯をゆっくりと綴らせていただきますが、前回の記事では、15年間なんとなく思い続けた夢が、突然1か月半先の目標に変わる瞬間を書きました。夢が夢であるときは、とにかく、にやにやと妄想にふけっていればいいのですが、ひとたび目標となるとそうはいきません。しかもこれがたった1か月半先となれば、冷や汗をかきつつ、死に物狂いで走っていかねばならないような目標です。さて、これからこなさなければならない、課題とは?


JMTは本来1年ほどの時間をかけて、準備をしていくものだと思います。体力気力はすでに備わっているものと仮定して、まずたいがいの人が乗り越えなければならないのが、1か月という長期間の休暇の確保でしょう。わたしの場合は、仕事先の雇い主のほうから「1か月休みをやるから、行ってこい!」と送り出されたので、しかも単独で行くと決めていたので、この問題はスルーしてしまいましたが、普通ならば、仕事先への休暇申請、そして家族と暮らしてる方は家族の了解、仲間と行く方は仲間の方々の都合にも合わせて調節しなければなりませんから、大変ですよね。
1か月の休暇、と書きましたが、JMTのスルーハイク平均時間は、18日間から25日間といったところ。つまり体力に自信があって、最短期間で歩ききってしまいたい、と思う方は、移動時間も含めて3週間未満の休暇で成し遂げることも不可能ではありません。トレイルランニング感覚で、テントも持たずに超軽装で駆け抜けていくような人は、10日間で終えてしまう、という話もききますが、自らの体験談から言わせていただくと、JMTは速足で駆け抜けてしまうには、もったいなすぎます。毎日が、そして一歩一歩全ての風景が、足を止めてみとれてしまうような、見たこともないスケールの自然、体を投げ出して午後いっぱい昼寝をしたいような美しい場所、まだまだ先は長いのに、ここでテントを張りたい!と思ってしまうような、完璧なキャンプスポットに満ちていて、時間はいくらあっても足りないようなもの。登山が好きな方は、JMT上には、1時間から一日がかりでいけるような、大小様々なピークがありますので、JMT踏破の日常からちょっと外れて、重たいザックは置いて、軽装で山頂を目指す日をつくってみるのも、楽しいものです。
実はわたしも最初の半分は、かなり飛ばしていて、毎日22キロ近く歩いていたのですが、中間地点に9日目に到着したとき「なんでこんなに急いでいるんだ?」と、ふと気づいて、スローダウンしました。今思い返してみても、最初のほうにさっと歩き過ぎてしまった、サンライズパスや、マリーレイクのあたり、一泊して時間をとってのんびりすればよかったな、本当にきれいだったな、と後悔もあります。しかし逆に、あまりのんびりすると、今度はその時間に見合う量の食料を背負って歩く、もしくは補給場所を増やさなければならないで、ゆっくりするのにもまた限度があります。
初めて長距離トレイルに挑もうとするときは、時間配分と食料計画に、準備段階でどんなに時間と知恵を費やしてみても、実際歩き始めてみると、なかなか思うようにいかないものです。1か月という時間があれば、心に余裕をもって、その日その日の気分や体の具合で調節しつつ歩くことができます。


さて、そんなわけで、休暇という最初のハードルがそもそもなかったわたしですが、次の難関が待ち受けていました。それは、パーミット(許可書)の取得、おそらく現在JMT準備において最大の難関です。


JMTはヨセミテ国立公園のみならず、セコイア、そしてキングスキャニオン国立公園にもまたがっていて、その間に自然写真家のアンセルアダムスと、言わずと知れたジョンミューアの名前が付けられている、ウィルダネス特別保護区があり、350キロほとんどすべての行程が、厳しい規則で保護され、規制されている状態です。そのおかげで、毎日ほとんど外の文明社会と交わることなく、美しい、とか、特別、という言葉では収まりきらないような、自然の原風景の中を歩くことができるわけですが、そんな状態を保っていくためには、誰もかれもが好き勝手にいつでも歩けるのではないだろう、ということは容易に想像していただけることでしょう。JMTのスルーハイクをしようという人は、必ずヨセミテ国立公園からパーミットを発行してもらわねばなりません。そして入域人数を制限するため、パーミットの発行数には限りがあります。
ちなみに南のホイットニー山から始めて、ヨセミテに向けて北上する逆ルートで行く場合はどうかというと、これには森林局から発行されるホイットニー山登頂の許可書が必要で、これはアメリカ人にとって富士山のような存在である大人気の山に、いよいよ登頂してやるぞ!という大勢の人々と一緒に、ものすごい倍率の抽選を潜り抜けなければならないので、日本からはるばる、どころか、カナダからはるばる、の場合も、あまり現実的ではありません。
ヨセミテのパーミットの予約は、出発日の半年前(正確には168日)から申し込むことができるのですが、特にピークの7,8月を狙う人々は、ちょうど168日前の、オフィスが開くその瞬間に電話をするものらしいです。
それくらいのことは、わたしも以前から知っていましたが、でもさすがに夏休みの終わった9月の出発で、満員ってことはないでしょう、と高をくくっていました。9月は気温が落ちますし、JMT歩きのハイライトの一つである高山植物も見られませんし、あえてこの時季に歩こうというバックパッカーは、わたしのような少数の奇人変人ばかりのはず。一か月の休暇と飛行機チケットをあげるから、行きなさい!と、感謝してもしきれないほどの贈り物をもらったその日の夜、チケットの予約の前に、まずはパーミットを取得して、出発の日を決めないとね、と、インターネットでヨセミテ国立公園のホームページを調べていると、今は便利ですね、パーミットの残り数の一覧を、クリック一つでチェックすることができるのですが…。おや?
0,0,0,0,0,0,0、0,0,0。
あまりにゼロばかりなので、これはコンピューターのエラーなのではないか、と思うくらい、もしくはこの世にゼロ以外の数字ってあったんだっけ、などと思うくらい、リストに載った数字は、ことごとくゼロ!
大失恋のショックでどん底に落ちていた数日から、JMTに行くことになり、成層圏に突入するくらい舞い上がっていたテンションは、ここにきてまた、穴の開いた気球のごとく、じわーっと降下中。もう一度クリックしてページを更新してみるも、やっぱり目の前に並ぶ数字は、ゼロの羅列。30分後、もう一度クリック。ゼロゼロゼロゼロ…。1時間後…。わたしも懲りない。しかし現実は現実。9月上旬のパーミットはすでに売り切れ!


実際に行ってみよう、という方のために、ここにパーミットの残り数をチェックできるページのリンクを張っておきますね。(このぺージは、JMTだけでなく、ヨセミテのバックカントリーパーミットすべての一覧です。JMTのパーミットは、下のほうの「Donohue Exit Quota and Trailhead Space Available」というタイトルの一覧表でチェックします。)
https://www.nps.gov/yose/planyourvisit/upload/fulltrailheads.pdf


ヨセミテ国立公園のデータによると、1998年のJMT歩行者数は、500人以下。これが2011年あたりから急激に増え始め、2012年の『ワイルド』発行や数年後の映画化、さらには2015年にアパラチアントレイルを舞台にしたコメデイアウトドア文学の古典的名作『Walk in the Woods』(邦題は『ロングトレイル!』)まで映画化され、ロングトレイルブームが大爆発しました。2014年から現在にかけのJMT年間歩行者数は、毎年なんと3500人。現在のJMTの人気ぶりには、驚かされるばかりです。15年間だらだらと夢みつづけているうちに、機会を逃してしまったのだろうか、という暗い思いがちらりとよぎります。
いやいやいや。機会というのは、向こうからやってくれば儲けもの、やってこなければ自分でつくればいい、逃してしまったら大声で叫んで呼び止めればいい。
決して希望が失われたわけではありません。確か、前もって予約ができるパーミットの数だけで全ての定員が埋まってしまうわけではなく、少数のパーミットが、当日に直接オフィスで申し込むバックパッカーのために、確保されていたはずです。First come First Served Permitと呼ばれるやつです。(余談ですが、この英語、直訳すると、早い者勝ち!感いっぱいで好きです。)ヨセミテのバックカントリー規定についてのページを読み込んでいくと、ほらやっぱり!当日に入手できる許可書についての記載がありました。えーと、なになに…。うっ。
2015年までは、JMTパーミット総数の60%が事前予約可能で、40%がFirst come First Served Pemitとして固定されていたのですが、あまりの予約申し込み数の多さに、2016年から、一か所の出発地点を例外に、すべてのパーミットが事前予約可能になってしまったのでした。
ヨセミテでは、JMT利用者の集中によるオーバーユースを少しでも拡散させるため、JMTの出発地点が4か所に分けて設けられていて、パーミット数がそれぞれに振り分けられているのですが、ハッピーアイル以外のパーミットを取得して、その出発地点から歩き始めると、JMTの最初の数キロを逃してしまうことになるのです。夢のJMTスルーハイクを実際にやってやる!という機会に恵まれた人間にとっては、やはり正規のハッピーアイルから始めたい、と思うのが人情ですよね。このハッピーという名前がまた耳と心になんとも良い響きですし…。
そして一日に対してのパーミット発行総数である45人分のパーミットのうち、10人分が、現在唯一のFirst come First Served Pemit、ライル渓谷出発のパーミットとして確保されているのでした。同じヨセミテ国立公園内とはいえ、観光の中心であり、ハッピーアイルがあるヨセミテ渓谷と、ライル渓谷がある北部のツオロミー高原は、全く別の場所です。ここから歩き始めるとしたら、JMTの最初の32キロほどをカットすることになります。


加藤則芳さんは、著書『ジョンミューアトレイルを行く』の中で、「ヨセミテ側からの許可書は、大人数の団体でなければ、当日でもほぼ間違いなく取得できる。一日の許可人数の制限はあるものの、制限人数を超えることはほとんどないからである。」と書いていますが、残念ながら、これは20年近く前の話。2016年現在は、「JMTの許可書は、ヨセミテ側からもホイットニー側からも、6月中旬から9月中旬にかけて、前もって所得することは、ほとんど不可能。当日にもらえるパーミットは、ライル渓谷の一か所を除いて、直前にキャンセルされたもの以外存在しない。」とういのが厳しい現実なのでした。あーあ。


しかも、フェイスブックでJMTのコミュニティに入れてもらい、真夜中まで色々と質問をして発覚した更なる事実は、ピークシーズンの7,8月には、このライル渓谷の10人分のパーミットすら、取得するのは至難の業、ということでした。何人かの方の経験談やアドバイスは、「遅くとも朝の5時からパーミットオフィスの前にできる列に並ぶこと。」「僕は夜中の3時から陣取って、もらえたよ。」などという、なかなかすさまじいもの。JMTに挑む、ということはもはや世界的人気のロックスターのコンサート会場の場所取り並み。
「女で一人なんですけど、そんな長時間並んで、トイレはどうしたらいいですかね。」「水を飲まずに一晩我慢しなさい!」
「そうですか…。」
9月で、しかも一人なら、取れる確率はかなり高い、時には10人分全部でないこともある、とのことでしたが、果たしてそれがどれだけ信じていいものなのかどうか。


ここで決断しなければならないこと、それは、、、
一か月の休暇と飛行機チケットをプレゼントしてくれる、という信じられないほどの好意と幸運に対して、果たしてほんとうに歩けるかどうか確信がない、という状態で、それでも出発する、という行為を自分に許すのかどうか。
激しく葛藤すること、3分、いや、5分。
「そりゃ行くに決まってる!」
思い込んだらなんとやら。もう情熱と根性のスイッチは入ってしまったのです。結果がどうあれ、行くしかない。行って後は、文字通り運を天に任せましょう。これだけの幸運に後押しされているのです、どうにかなるでしょう。そんな心持ち。
見方によっては無責任なのでしょうが、思い込みの力、信じる力、もしくは「引き寄せの法則」って、ほんとうにすごいです。もちろん例外もたくさんありますが、駄目に決まっている、と、くよくよとマイナスエネルギーに自分の精神と細胞を浸してしていると、やってくるはずの良いものも、しり込みしてしまうもの。逆に前向きな気持ちで、どうにかなるさ!と、心のキャッチを全開上向きにして、にこにこと進んで行くと、世の中のほうも、「おお、それならこれでどうだい、お嬢さん」と、起こるべきこと、出会うべき人をこちらに仕向けてくれるものです。これはわたし、保証します。うさんくさい、もしくは眉唾だぜ、と思う方々は、ぜひこのブログを読みつづけていただきますよう。
結局夜中の2時までコンピューターに向かい、次の日雇い主に、寝不足の目をこすりつつ、調べた結果と自分の決意を伝えると、その数時間後には、下手すればわたし以上にうれしくって興奮している雇い主夫婦が、さっそく「サンフランシスコ行きのチケット取ったよ!9月4日カルガリー発だよ!」と伝えてきたのでした。


さあ、もう迷うことはない、パーミットは、ヨセミテに到着したそのあとでどうにかなると信じて、次に集中すべき課題は、食料と装備計画!




それは大失恋からはじまった

おんな一人旅で山奥を何週間もバックパッキング…というと、やはり「危なくないの」「そんなことしている人、他にもいるものなの」というような疑問を投げかけられることが少なくありません。危なくないのか、という点に関してはまた後の機会にじっくり語らせていただくとして、珍しいかどうか、という疑問に対しては、「主流とは言えないけれど、現在の北米では、大騒ぎされるほど珍しくもない」というのが答えです。


わたしが移り住んで12年になろうとしている北米では、ここ数年、メディアの影響もあって、長距離バックパッキングがなかなかのブームです。ロングトレイル、というカテゴリーで言うと、実はJMTはまだまだ短いほうで、日本でもよく名前が聞かれるアパラチアントレイルは3500キロ、JMTと交わったり平行しながらメキシコからカナダまでを歩きとおす、PCTの通称で知られるパシフィッククレストトレイルになると、全行程4279キロ!徒歩だけで移動するのだと考えると、気が遠くなるような距離ですよね。しかし、JMT出発前に、フェイスブックでたくさんの知恵を授けてくれた方は、JMTの全行程を歩くこと12回、なんて記録を持っていたり、JMTで出会った人物の中には、PCT全行程を3回歩いている、なんて方もいました。そう、350キロのJMTを踏破する、ということ自体は、あまり珍しいことでも、バックパッカーとして周りから尊敬されるような、偉大なことでもないのです。
ちなみにロングトレイルの世界では、はじめから終わりまでを一気に歩くことを、through hike スルーハイク、そしてそれに挑んでいるハイカーをthrough hiker スルーハイカーと呼びます。JMTでも、「Are you a through hiker?」と何度も聞かれました。350キロとはいえ、やはり長距離のトレイルですので、体力や仕事の休みなど様々な理由から、スルーハイクではなく、何度かに分けて少しづつ、何年もかけて全行程を歩いていく、という人のほうが多いからでしょう。
そんなわけで、スルーハイク、しかもこれが単独となると、珍しさの度合いがちょっと高くなります。けれど、これも決して驚かれるようなものではなく、3週間のJMTで過ごした時間の中で、出会った単独スルーハイカーの総数は、12人を下らないと思います。
ここでちょっとつけ足しておくと、単独とは言っても、自ら望んで単独なのか、それとも仕方なく単独なのか、という違いは大きいかもしれません。かなりの長距離を歩く、ということは、長時間の休暇が必要とされるということで、それは誰もが望んで恵まれるものではなく、仲間や家族の都合がつかず仕方なく単独で歩いている、という方がほとんどだからです。そういう背景もあって、一人で歩いていると、反対方面からやってきたバックパッカーに「あなたの数キロ前に、他にも単独の女の子がいたよ。追いついて一緒に旅をするといいよ」なんて、親切な、しかしいらぬおせっかいを焼かれたことも、一度ではありませんでした。わたしの場合は自ら望んでの単独スルーハイク、しかも女、という点でも考慮すると、どちらかというと珍しいほうの部類になります。
どうして単独なのか、ということについては、なかなか深い話になるので、また改めてじっくり語らせていただくとして、ロングトレイルにおける、性別の比率はどうでしょうか。これはやはり、男性が半分よりもう少し上を占めているかな、というところですが、ひと昔前は、半数のみならず、おそらく80%以上が男性だったはずです。それというのも、ここ数年で、女性のグループ、そして単独の女性の姿も一気に増えたのです。


離婚、麻薬中毒、セックス依存症、母の病死、、、という数々の人生の苦難に面した挙句、なぜか突然思い当って、バックパッキングの経験ゼロにもかかわらず、ロングトレイルの究極と言える、パシフィッククレストトレイルを、全行程、しかも単独で歩くことにした女性の自伝が、ミリオンセラーになったのが数年前。『Wild-ワイルド』というタイトルで映画化もされたこの作品は、たくさんの若い女性の足を、バックパッキングへと向かわせました。日本では『わたしに会うまでの1600キロ』というタイトルで発表されているようです。大ヒット作品が登場すると、その勢いにのって同じような作品が次々と出版されるのは、日本と一緒。北米の本屋さんでは、女性長距離単独バックパッキング紀行の本のいくつかが、しばらく平積みされていました。空前の女性バックパッキングブーム到来!
え、わたしですか?読みましたよ、本。まわりのアウトドア好きの女の子たちが「これ、すごくいいよ!」と絶賛するので、そしてジョンミューアトレイルの様子について、女性のソロバックパッカーの視点から読めるかもしれない、との期待もあって、気づけばぐいぐい引き込まれて3日ほどで読み終わっていました。残念ながら作者がPCTを歩いた年は、残雪がひどく、彼女はJMTエリアでもあるシエラネバダ山脈を歩かずに迂回することになるので、この本からJMTの様子を垣間見ることはできません。そして!旧世代ワンゲルサークルで鍛えられ、山は、スキルと知恵と畏敬の念を常に心身に鍛えつつ、抱きつつ入るものである!という非常に硬い考えを持っているわたしにとっては、この本はエンターテイメントとしては面白いけれど、共感できない、軽薄で、2度目読み返すことはあり得ない、そしてこれに触発されて軽い気持ちで山や長距離バックパッキングにでかける若い女性が増えることは、とってもいただけない、というような代物でした。
日本でも、世界どこにいても、自然の中で癒される、森や山歩きで、ストレスや心の痛みがほっと消えていく、という人間の営みは古今東西共通で、結局はわたしたちはこの自然に生かされているのだ、そして表面上はどうあれ、人間はこの大自然に根っこから属しているのだ、と思い出したりします。自然の中に還る時間を折に触れて創ることは、わたしたちにとって、贅沢ではなく、必然なこと。自然ガイドとして10年以上情熱を燃やしたわたしです、たくさんの人に、自然時間を持ってもらいたい、自然とつながってもらいたい、という願いがいつも心の底にあります。
けれど、これが近所の森や、里山、週末に気軽に行ける低山の枠を超えて、突然何の予備知識もなく、長距離縦走や、アルパインクライミング、もしくは超ロングトレイルに飛び込んで行っちゃえ!しかもその理由が、人生が困難だらけでうまくいかないから、、、というのは、お角違いです。なんとまぁ、無責任な。山は上手くいかない人生から逃げすための場所ではないはずです。自然が好きだから、自然の中にいることがとっても嬉しいから、勉強して、調べて、準備して、まっさらな心で大きな旅に向かっていく、本来そういうものであるはずです。例えば星野道夫さん、ソロ―、そしてもちろん、ジョンミューアなどが高らかに歌う、自然賛歌の美しい文章に魅せられて自然の中に向かう人々よりも、『ワイルド』のような、軽い、しかしドラマチックでテレビドラマのような、しかしあまりに無防備で無責任なありように共感を覚えて、自然の中に向かう人々のほうが多いとしたら、現代という時代に少なからず危機感を覚えます。これがいまの、人間と自然の関係なのでしょうか?
JMT準備期間も、旅期間にも、何度か聞かれました。「あなたも、やっぱり『Wild』に触発されて歩いているの?」そのたびにわたしが、いやーな顔をしつつ「全然違います」と答えている様子は、きっと手に取るように想像していただけることでしょう。


そんな頭でっかちで、なかなかやっかいな硬派のわたしが、ジョンミューア、ヨセミテ国立公園、そしてJMTと出会うそもそものきっかけは、学生時代の大学の講義と、今は絶版になって久しい山と渓谷社の「outdoor」という雑誌の記事でした。ワンゲルサークルの活動を通して、山の中で自分を鍛えつつ、自然保護活動や環境教育活動に関わり、卒論研究もかねて、ヨセミテ国立公園へとひとり旅をしたのが、20歳のときでしょうか。2週間と短い旅でしたが、壮大なシエラネバダ山脈と、国立公園保護のシステムに度肝を抜かれつつ、JMTをいつか歩くぞ、と夢をもって帰国したことをよく覚えています。しかし、人生の紆余曲折と数々の幸運に恵まれた結果、カナダに移住して日本よりもぐっとJMTに近い距離に暮らすことになったにもかかわらず、そしてわたしの暮らす北米を代表する大山脈の一つ、カナディアンロッキーはバックパッキングのメッカでもあるのにもかかわらず、実際にJMTに出かけるまでに15年もの歳月が流れた最大の理由は、実はここ数年、バックパッキングはわたしの主なアクティビティではなかった、ということにあります。わたしが最も愛するのは、何を隠そう、ロッククライミング。一年に1、2度2泊程度のバックパッキングに出かけることはあっても、休日や長い休暇は、ほぼクライミングに費やしてあっという間に10年がたちました。JMTへの思いは常に心のどこかにあって、仲間に「近い将来歩くんだ」、なんて折にふれて宣言しつつも、その思いがクライミングへの情熱を超えることはありませんでした。それなのに、どうしてか今から2年ほど前、突然バックパッキングへの思いがよみがえったんですね。なんとなく、いよいよそのうちJMTに向かうんだ、と意識しだして、ガイドブックを購入し、2015年にはかなりの数の単独バックパッキングに出かけ、秋の休暇には、バンクーバー島のウエストコーストトレイル(通称WCT)に一人で出かけました。5-6日ほどで歩けるトレイルですが、単独で3日以上バックパッキングをした経験はそれまでなかったので、JMTを単独で歩けるかどうか、慣らし運転の旅として絶好のトレイルでした。


なぜ今になって、再びJMTへの思いが、よみがえってきたのでしょう?ざっくばらんに言えば、年齢と人生設計、という切っても切れない人生のしがらみが押し寄せてきたからに違いありません。気づけば三十路も半ばを向かえるころになり、子どもが欲しい、という願望がことさらに光り輝いて心に強く満ちている今、そしてその願いがかなえられる時間が、生物学的に少しずつ、しかし確実に終わりに近づいていると、ひしひしと感じる今、もしあと5年以内に子どもを授かることができるとしたら、今やらねば、ひとりでJMT全行程を歩く、という機会は、子どもが独り立ちするまで、つまり下手したらわたしが50代になるまで訪れない、という現実に気づいたのです。
というわけで、2015年夏、新しい仕事の面接の最中にわたしが雇い主にした質問の一つは、「来年の9月、まるまる休みをもらえるでしょうか。ジョンミューアトレイルを歩きたいと思っています。」
自らもアウトドアを愛してやまない、それどころかスキーの世界チャンピオンでもある雇い主の夫婦は、快くかつ興奮とともに快諾してくれ、新しい仕事がはじまりました。
しかし、その数か月後、出会ったんですね、運命の人に…。この人とこの後の人生をともにし、家族をつくっていくのね、と確信した運命の人に…。

2016年の9月丸ごと、JMTのためだったはずの休暇は、新しい彼とのバンクーバー島での2週間のシーカヤックとクライミング旅へと変更。けれど、それのどこが悪い?人生の波にのって、執着せず、柔軟に、その場で一番「そうあるべきだ」と思う最善の方向に向かっていくのは、ヨガスピリットにも裏付けられたわたしのライフスタイルです。このまま彼とゴールインして、JMTをひとりで歩く、という夢が達成されなくても、それがわたしの人生ならそれでよし。ともにバックカントリースキーに出かけ、音楽とダンスのコラボレーションを楽しみ、ヨガと瞑想の時間を共有し、子どものことや住みたい家についての会話も多く、わたしたちの関係は深く確実に、日々、未来へ向かって進んでいくようでした。いくつかの問題はあっても、時間と愛が解決するだろう、とわたしはいつものように、ひどく楽天的でした。ですから、彼と付き合って半年になる、7月の美しい夏の夜に、わたしのアパートに訪れた彼が突然「別れることにした。ひとりでいるほうがいいと気づいた」と宣言したとき、世界から光が消え、ひっくり返り、思考回路が真っ二つに壊れたことは、言うまでもないでしょう。驚き、困惑し、泣き崩れるわたしを残して、気づけば彼はアパ―トから消えていました。それですべて、あっけなくお終い!話し合いもなく、分かりあうこともなく、わたしを含め、これまでのすべてをゴミ箱に放り込み、彼はわたしの人生から去っていきました。深く愛した相手に、突然自分といるよりも一人でいるほうが良い、と宣言され、歩き去られることほど、傷つくことはありません。これまで数々のお付き合いと別れを経験したわたしですが、こんなふうに捨てられることは、初めてのことでした。
日常生活を送ることが困難になるほどの、激しい感情に襲われたとき、たいていわたしは、あえて日常の仕事や習慣をこなすことで、一番つらい時間を乗り越えようとします。麻痺した頭と心を引きずりつつ、わたしはいつものようにマネジャーとして、とりあえずは何食わぬ顔で働いていました。けれど、その時点までに、家族のように、近い、愛おしい存在になっていた、雇い主の顔を見たとたん、そして優しい言葉をかけられたとたん、子どものように号泣してしまいました。泣くだけ泣いて、あったかなお茶を囲んで、きらきら輝く夏の花と日差しに囲まれ、テラスで話を聞いてもらっていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、笑いながら冗談も飛ばせるようになりました。もつべきものは友、とはよくいったものです。


「あーあ、まったく、9月の2週間の休暇、予定なしでしかも独りぼっちになっちゃったよ。何したもんかなぁ。」
「あなた、9月はそもそもジョンミューアトレイルに行きたいって言ってなかったっけ。行きなさいよ。1か月休みあげるから。」
「えっ!それはとてもありがたいけれど、もう1か月半に迫っているし、そんな大きな旅に向けて準備や貯金してきたわけじゃないから、今回はあきらめるよ。ありがとう。」
「お金がない?わたしたちが飛行機チケットをプレゼントしたら、どう?行けそう?」
「えええ!?」
「決まり!明日にでもすぐ予約するから!」
「えええ!?」


ーしかし今は7月半ば…。9月に行くとして、これからたった1か月半で、ゼロから調べものをして、準備をして、350キロもの旅に出るってのは、無謀じゃないか?いや、待てよ、無謀かもしれないけど不可能ではない。しかも1か月の休みをくれて、しかも飛行機チケットまでって…そんな好意と幸福を逃すのは、罰当たりだ。きっとこの失恋には意味があったんだ。わたしは2016年、JMTに行くべきなんだ、そうだ、世界が声を大にして、行けと言っている!



「本当にありがとう。このご恩は一生忘れません、わたし、行きます!」


上の写真は、大失恋のわずが数日後に、ひとりで心の整理をすべく、地元の山に登りに行ったときの写真です。ほんとうに失恋したのかよ、という疑問が我ながら浮かんでくるくらい、すがすがしい青空と笑顔。
結局、恋愛というものの力、愛というものがもたらす幸福と、時に破壊、そして救いは、何千年前から変らず、人間の営みの、良くも悪くも起動力なんですね。古典文学、オペラ、数々のヒットソング、すべての主要テーマが、まずもって恋愛だというのも、ひとつの事実です。愛に打ちのめされ、しかし、また、愛に救われる。


しかし。


ーあ、あれ?これはつまり…わたしは大失恋したから、ジョンミューアトレイルに向かうのか?準備期間もそこそこに、憧れつづけた夢のトレイルに、こんなハチャメチャな状態で無鉄砲に向かうのか?えーと、『ワイルド』を読んだ後、なんて言ってたんだっけ、わたし…。


困惑しつつ、頭をかきつつ、しかし運命の歯車はぐんぐんと回りだし、波乱万丈かつ短期間決戦!な旅準備が、その日の夜中からはじまりました。



ジョンミューアトレイルとは


何はさておき、まずはジョンミューアトレイルについて、ご説明せねばなりませんね。


ジョンミューアトレイル、通称JMTは、全長350キロ、カリフォルニア州に堂々と横たわる、広大なシエラネバダ山脈に沿ってつくられた、歩くためのトレイルです。北米ではハイカー、バックパッカーの憧れの長距離トレイルの一つで、特にここ数年は、6か月前から申請しても、許可書を取るのはほとんど不可能という状態になっています。出発、到達地点は北のヨセミテ国立公園のハッピーアイルと、南のアメリカ本土最高峰のホイットニー山の山頂で、どちらからでもスタート・ゴールできますが、許可書のシステム、高低差など様々な理由から、北のヨセミテから出発して、南のホイットニーで終える、というパターンのほうが圧倒的に人気で、わたしもこのルートで歩きました。


日本では『ジョンミューアトレイルを行く』というタイトルで、平凡社から加藤則芳氏が、自らの旅の記録とガイドブックになれば、という趣向で本を出版していて、わたしも15年間、折にふれては悶々とこの本を読みつつ夢を膨らませたものです。残念ながら1999年とかなり昔に出版されたものなので、許可証の取得方法やクマ対策、もしくは道具についても、情報としては今はほとんど役に立ちませんが(これについては常に改善、変更されていくものなので、歩きたいと思った人は自分の力で調べるのが義務だと思ってくださいね)、わたしのブログを読んでいてもうちょっと知りたい、違い角度からジョンミューアトレイルについてもっと読んでみたい、と思ったら手にとってみてください。本気で歩きたい!という思いを抱いた方は、写真の一番右のガイドブック、Wilderness Pressから出版されている『John Muir Trail -the essential guide to hiking America's most famous trail』が必須です。


ここで「バックパッキング」という言葉について、ちょっと詳しくお伝えしましょう。
日本ではバックパッキング、もしくはバックパッカーというと、大きなザック一つで、自由かつ貧乏旅に出る若者のイメージが大きいのではないでしょうか。わたしも学生時代に夢中になった、沢木耕太郎氏の『深夜特急』に代表される、旅のスタイルです。安い電車やおんぼろバスを使って、汚い安宿に泊まりつつ続ける放浪の旅、、。それもバックパッカーの定義の一つなのですが、北米で「バックパッキング」というと、野生の状態に限りなく近い自然の中を、最小最低限の、生活に必要なすべてを背負って歩いて旅する、というアウトドアアクティビティとしての言葉になります。日本の感覚でいうと、いわゆる山岳地帯での「縦走」が近いでしょうか。でも縦走は山小屋に泊まることもありますし、何よりも山頂を次々と踏破することを目的としているので、ちょっと違いますよね。バックパッキングでは、テント泊が前提、そして山頂はオマケ、というか、到達地点やピークを踏むという達成感よりも、歩く、自然の中に身を置く、という行為そのものが醍醐味である、という感覚です。ひと昔前は、足元はごっつい皮のブーツ、背中には金属のフレームを軸とした巨大なザックに、これまた巨大なテントや寝袋を外付けにし、終いにはフライパンやら何やらが、がさごそとぶら下がっている、というのが北米のバックパッカーのイメージとして定着していましたが、ここ最近の道具の軽量化、ハイテク化に助けられ、今はごく小さなザックに、強者はトレイルランニングシューズで軽やかに歩き抜く、というスタイルのほうが主流になっています。日本の現在の登山スタイルも、ワンゲルに属して巨大なザックを背負っていたわたしの時代からは、かなり変わっていることでしょう。文明の発達に時にうんざりしつつ、人間の迷走ぶりに失望しながら自然の中へと逃亡しつつ、しかし文明の恩恵に助けられて、わたしの野生児生活は成り立っています。


さて、シエラネバダ。
自然多様性という言葉がぴったりのこの雄大な山脈は、4000メートル級の山々から、荒涼とした火山風景、この地域の代名詞とも言える巨木たち、もしくは1000年を超す背が低くても迫力と霊力に満ちた木々、そして砂漠、果ては氷河、滝に湖に豊かな水の風景、と、変化に耐えません。350キロの行程は、この風景の中を、文字通り山越え谷超えしつつ、ほとんど外の文明社会に触れることなく、続いてきます。こういった長距離トレイルのシステムが管理され、保護され、愛されていることは、きっと問題山積みのアメリカ社会が誇っていいことの一つで、日本にも、そしてわたしが暮らすカナディアンロッキーの地にも存在しないものです。そして自然保護、国立公園システムの設立に人生を尽くした人物、ジョンミューアの名がつけられているこのトレイルを歩くことは、彼をヒーローとして崇めるわたしにとって、決して大げさでなく、巡礼の旅とも言えるようなものでした。


JMTのピークシーズンは、もちろん7月から8月にかけての夏。ほとばしる豊かな清流、色とりどりの高山植物、そしてほぼ毎日が晴天かつ温暖。長距離バックパッキング旅において、理想的なコンディションです。けれども蚊がものすごいという噂、そして数々の困難な渡渉が待ち受けているというのも事実です。わたしが旅した9月は、高山植物は全滅、朝晩の冷え込みが激しく雪も降った、という状態でしたが、わたしの苦手な蚊は全くいなかったですし、渡渉は足首の深さの川がたった一回あっただけで、あとは飛び石や倒木の上を口笛を吹きつつスタスタ渡る、という気軽さでした。どの季節、どのタイミングにも良さがあり、美しさがあり、意味がある、と言うべきでしょう。まだまだ雪深い6月や、そろそろ極寒となる10月に歩く強者も大勢います。


調べ続け、夢見続け、「いつかきっと…」と15年間思い続けたこのトレイルに、実際に向かうことになったきっかけは、思いもかけなかった出来事と失望とともに、2016年7月、突然やってきました。
写真右から2番目の黒いノートが、わたしとともに旅し、毎晩欠かさず記録をつけた日記帳。次の記事に向けて、茶色く汚れたそのページを開いてみることにしましょう…。