単独行
ひとりで、ゆく
ひとりで、生き延びるための最小限の荷物だけを背負って、大自然の中を歩いてゆく。
ありのままの自分でいたいから
偽らずに、ほんとうの自分である瞬間
ほんとうの自分にならざるを得ない場所
大自然の中に、ひとりで、出かけていく
ほんとうの自分って、なんだっけ
おぎゃあと泣いて、母の胎内から、ありったけの祝福と愛に囲まれ、この世界にやってきた瞬間は、ほんとうの自分以外は存在しなかったはずのに、
その記憶を思い出せることもなく、
いつの間にか、周りが思う自分、自分がこうありたいと思う自分、こうでなければならないと思い込んでいる自分、しょせんこの程度の自分、と、ほんとうでない自分ばかりで、日々が満ちている
ほんとうの自分って、まだあるのかしら
どこにいるのかしら
心の奥底、頭の後ろのほう、小指の先っぽ、横隔膜の真ん中の穴、
自分でも、自分がもっていることを忘れている、近いけれども遠い、そんな場所のどこかに、
ほんとうの自分は、見つけてもらえる日を、ひたすら待ち続けて、隠れ続けている、忘れ去られたかくれんぼうの子ども
働いていれば、まわりがこうであるはず、と期待する自分がいる
友人は、家族は、「この人はこういう人だ」と思っている
自分でも「自分はこういう人間だ」と思っている
その役割を、その仮面を、それが自分なのだと思い込んで、誰もが日々を生きている
人生が終わる、その最期の瞬間まで、ほんとうの自分ではない自分を演じて、このかけがえのない、たった一つしかない自分という存在を生き抜くことなく、体を去っていく
こんなに悲しいことが、あるだろうか
だから、ひとりで、ゆく
大自然の中へと身をゆだねる
演じねばならない相手は誰もいない
生きて、呼吸して、食べて、歩いて
明日もそれを繰り返す
水は流れ、山々は険しく、青空は澄み渡り、
そして雑音が存在しないその世界で、唯一うるさいのは、自分の頭の中の声
それにうんざりさせられつつ、ときに無視しつつ、ときに気づきがありつつ、古い傷や痛みを消化しつつ、日々歩いていく
ほんとうの自分が、じわりじわりと、表にでてくる、よみがえる
それが、単独行
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