ジョンミューアトレイル単独全踏破紀行

12年になるカナダ生活から得たモットーは、「人生において転ぶことは避けられぬ、転んだあとにどう起きるかどうかが、生きる力なのだ!」というわけで、35歳独身、夏に突然彼氏に別れを告げられ向かった先は、大学時代から夢見続けること15年、カリフォルニア州のジョンミューアトレイル(JMT)。バックパックとわが身一つで、たった一人、山越え谷越え、370キロを超すロングトレイルを歩き抜いた日々、たくさんの人と分かち合いたいとの思いで、始めました。きっと、何か良いものをお届けできるだろうと、願いをこめて…。
本を綴るようなスタイルで書いていますので、はじめての方は、最初の記事から遡ってお読みください。

楽しくも悩ましい食料計画

JMTに行くことになった瞬間から決めていたこと、それは3週間分の食料をすべて一から自分で手作りする、ということでした。
また準備期間が短いのに、バカなことを、と、心のどこかでささやく、もうひとりの自分がいないこともないのですが、わたしは、アウトドアとヨガの次に順位入りするくらい、料理が好きなのです。1泊や2泊の短いバックパッキング旅のときは、野菜やお米、麺類や調味料を背負っていき、豪華に料理するのが常ですが、これがクライミング旅や、長距離の旅となると、どうしても乾燥食料に頼らざるを得なくなります。特に食料をすべてベアキャニスターに入れなければならないJMTでは、重量はもちろん質量もかなり限られてしまうので、乾燥食料以外の選択はありえません。
乾燥食料の定番はもちろんフリーズドライ、お湯を沸かして袋に入れて、10分ほど待てばできあがり、軽いですし燃料の節約になりますし、色々といいことはあるのですが、いかんせん、だいたい美味しくないんですよね。しかも一人一食分が10ドル前後と高い!栄養の面、コストの面、そして味の面において、次の長距離バックパッキングの旅は、自分で乾燥食料を手作りする、ということは前々から考えていました。北米の健康オタク、自然食派の人々の間では、自分で乾燥食品をつくることは定着しつつあって、わたしの暮らす山の中の町では、食品乾燥機を持っている人の数はかなりものです。
JMT行きが決まった直後、フェイスブックに「よかったら譲ってください!」と調達しなくてはならない装備のリストを10個ほど挙げたのですが、ありがたいことに、その日にうちにすべて仲間からオファーがあり、そのうちの一つがディハイドレーター、食品乾燥機でした。2台所有していた仕事仲間が、「1台は使ってないからあげるよ。JMT頑張れ!」と職場に持ってきてくれました。その日の晩から、さっそくスイッチオン!何を作るかはさておき、まずは定番の野菜やご飯、豆などをひたすら乾燥させることにしました。



一番下はバナナ。次はズッキーニ。マッシュルームもスライスして、さて4段目は何を入れようか、そうだちょうど玄米を炊いたから、半分JMT用に乾燥させよう。
毎朝毎晩ひたすら野菜を刻み、トレイを入れ替え、2週間の間、食品乾燥機は24時間フル稼働。さぞ、とんだ新しい雇い主に出会ってしまった、とうんざりしていたことでしょうが、故障することも根を上げることもなく、キッチンカウンターの上の乾燥食料の山は、次第に大きくなっていきました。
この材料別のパックが揃ったら、それらを組み合わせて、一食分ごとの食事パックを作っていく、というのがわたしのプランです。
凝り性なので、本来ならば、多方面からリサーチし、本を読んで詳しく勉強してから取りくむのがわたしのスタイルなのですが、今回は何せ時間がありません。食品を乾燥させること自体にテクニックは必要ないだろう、と、見た目と感覚に任せつつ作業を続けていきましたが、ある日仕事から帰ったら、ひよこ豆とお豆腐のパックがカビに満ちていた、という惨事もありました。ひよこ豆は、オーガニックのエデンという会社のいいものを使っていたので、ショックから立ち直れず、使うことを諦め、お豆腐はもう一度、以前より2倍ほどの時間乾燥させて作り直しました。
それらの材料を、パスタやご飯、ラーメン、調味料と合わせて一食ごとのパックをつくり、行動食も余分な質量やゴミを省くため、すべて開封してジップロックに詰めなおし、という作業をひたすら続けてできあがった、今回の旅のためのすべての食料が下の写真です。
JMT自体は3週間未満で歩けるだろう、と見越していましたが、こればかりは、歩きだして終了するまで未知の領域です、食料は余裕を持たせて、25日分準備することにしました。


少しでも楽しく美味しく食べ続けるため、献立にはいろいろと変化をつけ、クリームパスタから味噌味雑炊、タコライスにきのこリゾット、カレー味のクスクスに、キヌアとヤムポテトのヘルス&パワー丼、やきそば…、となかなか豪華なものになりました。ご褒美の日のために、数食分、地元のクライマーが販売している自家製のバックパッキング用グリーンカレーとベジタリアンチリを2食ずつ、そしてデザートも4回分購入しました。
なかなかの達成感。2週間でよくここまで準備した!とテーブルの上の山を眺めつつ、自分で自分を褒めてあげたいところですが、大きな難関が待ち受けていました。
写真の中に、黄色いバケツと大きな透明のプラスチックの容器があるのがお判りでしょうか。バケツはあらかじめ食料をデポしておく箇所に送るためのもの、透明のプラスチック容器が、今まで何度か話に上がっているベアキャニスターです。すべての食料を2つのバケツとベアキャニスターに収めなければならないのですが…


は、入らない!!全然入りきらない!!なんてこった!!


JMTスルーハイク計画において、とても悩ましいのが、パーミットに続いて、実は食糧計画です。
350キロの距離を歩くための食料を、最初からすべて持って歩くことは不可能で、それは背負って歩ける重量と質量に限りがあるという点はもちろん、このベアキャニスターにすべてが収まらなければならない、という大きな関門があるからです。このためスルーハイカーは、食料を人によっては1か所から3か所ほどに分けて、あらかじめ送っておき、歩きながらそれをピックアップしていくわけですが、このデポ箇所をどこにするのか、そして何か所にするか、という点を自分の体力、日程と照らし合わせて綿密に計画するのは、至難の業です。脳みそがねじれてちぎれてしまうのではないか、というくらい考え抜いた結果、前半にJMT上からさほど離れてない場所にある山奥のリゾート地、バーミリオン谷リゾート、後半に町に出てインディペンデンスの郵便局、と2か所を選びました。JMT自体は350キロですが、わたしが常に350キロ以上の距離、という理由はここにあります。JMTの前半は、ツオロミー高原、レッズメドウ、バーミリオン谷リゾート、ミューアトレイルランチと、JMTを離れずに食料をピックアップしつつ、足りない食料を買い足したり、シャワーを浴びたり、うれしいことにレストランやカフェを利用できる箇所がいくつもあるのですが、後半になると、こういった場所は一切なく、食料をピックアップするためには、高い料金を払って馬にトレイルまで運んできてもらうか、JMTを離れて町に出て自力でピックアップするか選ばなくてはなりません。わたしはもちろん自力派ですが、これはつまり、最短距離のインディペンデンスの場合でも、JMT以外のトレイルを往復で23キロ余分に歩くことになるのです。食料デポの箇所が増えるほど、一度に持って歩く重量は減りますが、その分、余分に歩かなければならない距離と日程が増える、金額もかさむ、というわけです。韋駄天の人は、JMT半分地点付近にあるミューアトレイルランチで最後の食料ピックアップをして、残りを歩ききってしまうようですが、約180キロの行程差が激しいトレイルを、その食料のみで歩ききる自信は、わたしにはありません。
なにせ、大量に食料をデポ箇所に送りつけても、ベアキャニスターにその全てが収まらなければならないのです。実際に行っていろんなハイカーと話をして発覚した事実は、皆さんけっこうズルをして、ベアキャニスターの外にも食料を持っていらっしゃる…。しかしそれでは、クマを野生の状態に保つ、クマを人間の食料に慣れさせない、という理念を元に決められたベアキャニスター携行の意味がありません。


というわけで、この限られたベアキャニスター内の空間に、どれだけ効率よく食料を詰めるか、というのがまた大切なスキルなのです。
「入らない、入らなーい!あんなに頑張って食料手作りしたのにー!」とほぼ半泣きで試行錯誤を続けた結果、エナジーバーをテトリスだかジェンガだかのように組み合わせ、食事パックはジップロックをくるくると丸めるように縦に詰め合わせ、てっぺんぎりぎりまでぎゅうぎゅうと押し込み到達したのは、8日分の食料でした。8日分か…。これは実際に歩き始めてからの行動計画に、常に影響する数字となっていきます。
泣く泣くかなりの行動食を削り、25日分の食料を24日分に減らし、すべての食料がようやく、買い換えた大きなサイズの二つのバケツとベアキャニスターに収まり、あとはバケツをデポ箇所に送るのみ、となりました。ところがここでまた新たな難関が!



自力で町に降りて郵便局からピックアップする場合はともかく、前半に食料のデポをお願いするバーミリオン谷リゾートや、ミューアトレイルランチは、人里からかなり離れた場所にあります。彼らの住所宛てに送られた食料は、町中の郵便局やデリバリーサービス会社の支所などに保管され、1週間に一度、彼らが馬に乗って取りにいく、というシステムなので、これらの場所に食料を送る場合、少なくともピックアップ予定日の2週間前には送るように、と言われます。もちろんそれを見越してここ数週間、仕事の前も後も、我が家でジップロックと乾燥食料の山にもまれつつ、食料準備を必死で続けてきたわけですが、いざ町のUPS(北米の大きな私営の郵便配達会社です)のオフィスに行ってみると、「これはぎりぎりだねぇ。その日程までに届かないかもしれないよ。」と言われました。え!でもまだわたしがバーミリオン谷リゾートに行くまで、2週間以上あるんですけど!
わたしがすっかり忘れていた、大切な項目の一つ、それは、国境を越えて荷物を届ける場合、食料は必ず税関のチェックを通らねばならない、そしてその検査には数日かかる、ということでした。面食らって、とりあえずその日は荷物を出さず、困ったときの神頼み、ではなかった、フェイスブックのJMTコミュニティ頼み、というわけで、カナダ人の人々に食料を送った経験談を聞いてみると、みなさん1か月前に送った、飛行機ではなく車で現地まで行ったので、アメリカに入ってから送った、など、いかにしっかりとした前々からの計画が必要なことが分かるような内容ばかりでした。しかし中には、「とても心配だったので1か月以上前に送ったけれど、6日で到着していた」という事例もあり、ここは腹をくくって、とにかく送ることにしました。
パーミットに次いで、再び、運を天にまかせる瞬間。できうる限りの最大限のベストを尽くして、それでも自分ではどうにもならない、という場面は人生において限りなくあります。そういうとき、ジタバタしても、ひたすら心配しても、状況は何一つ変わりません。できることをやって、あとはこの世界のありように身を任せる。食料が届かなければ、最悪の場合でも、リゾートの小さな売店で、高いフリーズドライの食料を購入することができるのですから。
次の日に再び訪れたUPSのオフィスで、台湾人のおばちゃんスタッフは、わたしがやろうとしていることを聞いて大興奮。「ちょっとあんた、この娘、ひとりでアメリカの山中を350キロ歩きに行くらしいよ!」と言われて出てきた、おばちゃんの旦那さんらしきおじちゃんスタッフは、UPSの規定で、バケツのままでは送れないので箱に入れなければならないけど、ちょうど予備の箱がいくつかあるから、とタダで箱を提供してくれました。世間話に花が咲き、わたしと同じくカナダに移民として住んでいるおばちゃんの夢にまで話はおよび、未来に向けて輝かしいエネルギーに満ちたオフィスから、わたしの食料バケツはきらきらと旅立っていきました。そのオフィスのドアをあけて外に出たときの、目の前の光景がこれです。


雨上がりの虹が、わたしの愛する町をぼんやりと、しかし美しく貫いていました。
大丈夫、すべてなるようになる。深呼吸して身をまかせて。


追跡ナンバーを毎日、何度も何度もチェックしながら、食料バケツの行方を追いかけ続けましたが、8月25日に送り出された荷物は、8日後の9月1日、見事バーミリオン谷リゾートに到着、わたしがやってくる日をそこで待っているのでした。


装備は整った。食料も到着してわたしを待っている。
あとは、わたし自身がヨセミテ国立公園へと向かうばかり。
夢が現実となる瞬間、夢が3週間の日常となる時間が、刻一刻と迫ってきていました。
パーミットも、きっとそこで待っているはず、と信じて…。