ジョンミューアトレイル単独全踏破紀行

12年になるカナダ生活から得たモットーは、「人生において転ぶことは避けられぬ、転んだあとにどう起きるかどうかが、生きる力なのだ!」というわけで、35歳独身、夏に突然彼氏に別れを告げられ向かった先は、大学時代から夢見続けること15年、カリフォルニア州のジョンミューアトレイル(JMT)。バックパックとわが身一つで、たった一人、山越え谷越え、370キロを超すロングトレイルを歩き抜いた日々、たくさんの人と分かち合いたいとの思いで、始めました。きっと、何か良いものをお届けできるだろうと、願いをこめて…。
本を綴るようなスタイルで書いていますので、はじめての方は、最初の記事から遡ってお読みください。

ジョンミューアトレイルとは


何はさておき、まずはジョンミューアトレイルについて、ご説明せねばなりませんね。


ジョンミューアトレイル、通称JMTは、全長350キロ、カリフォルニア州に堂々と横たわる、広大なシエラネバダ山脈に沿ってつくられた、歩くためのトレイルです。北米ではハイカー、バックパッカーの憧れの長距離トレイルの一つで、特にここ数年は、6か月前から申請しても、許可書を取るのはほとんど不可能という状態になっています。出発、到達地点は北のヨセミテ国立公園のハッピーアイルと、南のアメリカ本土最高峰のホイットニー山の山頂で、どちらからでもスタート・ゴールできますが、許可書のシステム、高低差など様々な理由から、北のヨセミテから出発して、南のホイットニーで終える、というパターンのほうが圧倒的に人気で、わたしもこのルートで歩きました。


日本では『ジョンミューアトレイルを行く』というタイトルで、平凡社から加藤則芳氏が、自らの旅の記録とガイドブックになれば、という趣向で本を出版していて、わたしも15年間、折にふれては悶々とこの本を読みつつ夢を膨らませたものです。残念ながら1999年とかなり昔に出版されたものなので、許可証の取得方法やクマ対策、もしくは道具についても、情報としては今はほとんど役に立ちませんが(これについては常に改善、変更されていくものなので、歩きたいと思った人は自分の力で調べるのが義務だと思ってくださいね)、わたしのブログを読んでいてもうちょっと知りたい、違い角度からジョンミューアトレイルについてもっと読んでみたい、と思ったら手にとってみてください。本気で歩きたい!という思いを抱いた方は、写真の一番右のガイドブック、Wilderness Pressから出版されている『John Muir Trail -the essential guide to hiking America's most famous trail』が必須です。


ここで「バックパッキング」という言葉について、ちょっと詳しくお伝えしましょう。
日本ではバックパッキング、もしくはバックパッカーというと、大きなザック一つで、自由かつ貧乏旅に出る若者のイメージが大きいのではないでしょうか。わたしも学生時代に夢中になった、沢木耕太郎氏の『深夜特急』に代表される、旅のスタイルです。安い電車やおんぼろバスを使って、汚い安宿に泊まりつつ続ける放浪の旅、、。それもバックパッカーの定義の一つなのですが、北米で「バックパッキング」というと、野生の状態に限りなく近い自然の中を、最小最低限の、生活に必要なすべてを背負って歩いて旅する、というアウトドアアクティビティとしての言葉になります。日本の感覚でいうと、いわゆる山岳地帯での「縦走」が近いでしょうか。でも縦走は山小屋に泊まることもありますし、何よりも山頂を次々と踏破することを目的としているので、ちょっと違いますよね。バックパッキングでは、テント泊が前提、そして山頂はオマケ、というか、到達地点やピークを踏むという達成感よりも、歩く、自然の中に身を置く、という行為そのものが醍醐味である、という感覚です。ひと昔前は、足元はごっつい皮のブーツ、背中には金属のフレームを軸とした巨大なザックに、これまた巨大なテントや寝袋を外付けにし、終いにはフライパンやら何やらが、がさごそとぶら下がっている、というのが北米のバックパッカーのイメージとして定着していましたが、ここ最近の道具の軽量化、ハイテク化に助けられ、今はごく小さなザックに、強者はトレイルランニングシューズで軽やかに歩き抜く、というスタイルのほうが主流になっています。日本の現在の登山スタイルも、ワンゲルに属して巨大なザックを背負っていたわたしの時代からは、かなり変わっていることでしょう。文明の発達に時にうんざりしつつ、人間の迷走ぶりに失望しながら自然の中へと逃亡しつつ、しかし文明の恩恵に助けられて、わたしの野生児生活は成り立っています。


さて、シエラネバダ。
自然多様性という言葉がぴったりのこの雄大な山脈は、4000メートル級の山々から、荒涼とした火山風景、この地域の代名詞とも言える巨木たち、もしくは1000年を超す背が低くても迫力と霊力に満ちた木々、そして砂漠、果ては氷河、滝に湖に豊かな水の風景、と、変化に耐えません。350キロの行程は、この風景の中を、文字通り山越え谷超えしつつ、ほとんど外の文明社会に触れることなく、続いてきます。こういった長距離トレイルのシステムが管理され、保護され、愛されていることは、きっと問題山積みのアメリカ社会が誇っていいことの一つで、日本にも、そしてわたしが暮らすカナディアンロッキーの地にも存在しないものです。そして自然保護、国立公園システムの設立に人生を尽くした人物、ジョンミューアの名がつけられているこのトレイルを歩くことは、彼をヒーローとして崇めるわたしにとって、決して大げさでなく、巡礼の旅とも言えるようなものでした。


JMTのピークシーズンは、もちろん7月から8月にかけての夏。ほとばしる豊かな清流、色とりどりの高山植物、そしてほぼ毎日が晴天かつ温暖。長距離バックパッキング旅において、理想的なコンディションです。けれども蚊がものすごいという噂、そして数々の困難な渡渉が待ち受けているというのも事実です。わたしが旅した9月は、高山植物は全滅、朝晩の冷え込みが激しく雪も降った、という状態でしたが、わたしの苦手な蚊は全くいなかったですし、渡渉は足首の深さの川がたった一回あっただけで、あとは飛び石や倒木の上を口笛を吹きつつスタスタ渡る、という気軽さでした。どの季節、どのタイミングにも良さがあり、美しさがあり、意味がある、と言うべきでしょう。まだまだ雪深い6月や、そろそろ極寒となる10月に歩く強者も大勢います。


調べ続け、夢見続け、「いつかきっと…」と15年間思い続けたこのトレイルに、実際に向かうことになったきっかけは、思いもかけなかった出来事と失望とともに、2016年7月、突然やってきました。
写真右から2番目の黒いノートが、わたしとともに旅し、毎晩欠かさず記録をつけた日記帳。次の記事に向けて、茶色く汚れたそのページを開いてみることにしましょう…。