ジョンミューアトレイル単独全踏破紀行

12年になるカナダ生活から得たモットーは、「人生において転ぶことは避けられぬ、転んだあとにどう起きるかどうかが、生きる力なのだ!」というわけで、35歳独身、夏に突然彼氏に別れを告げられ向かった先は、大学時代から夢見続けること15年、カリフォルニア州のジョンミューアトレイル(JMT)。バックパックとわが身一つで、たった一人、山越え谷越え、370キロを超すロングトレイルを歩き抜いた日々、たくさんの人と分かち合いたいとの思いで、始めました。きっと、何か良いものをお届けできるだろうと、願いをこめて…。
本を綴るようなスタイルで書いていますので、はじめての方は、最初の記事から遡ってお読みください。

それは大失恋からはじまった

おんな一人旅で山奥を何週間もバックパッキング…というと、やはり「危なくないの」「そんなことしている人、他にもいるものなの」というような疑問を投げかけられることが少なくありません。危なくないのか、という点に関してはまた後の機会にじっくり語らせていただくとして、珍しいかどうか、という疑問に対しては、「主流とは言えないけれど、現在の北米では、大騒ぎされるほど珍しくもない」というのが答えです。


わたしが移り住んで12年になろうとしている北米では、ここ数年、メディアの影響もあって、長距離バックパッキングがなかなかのブームです。ロングトレイル、というカテゴリーで言うと、実はJMTはまだまだ短いほうで、日本でもよく名前が聞かれるアパラチアントレイルは3500キロ、JMTと交わったり平行しながらメキシコからカナダまでを歩きとおす、PCTの通称で知られるパシフィッククレストトレイルになると、全行程4279キロ!徒歩だけで移動するのだと考えると、気が遠くなるような距離ですよね。しかし、JMT出発前に、フェイスブックでたくさんの知恵を授けてくれた方は、JMTの全行程を歩くこと12回、なんて記録を持っていたり、JMTで出会った人物の中には、PCT全行程を3回歩いている、なんて方もいました。そう、350キロのJMTを踏破する、ということ自体は、あまり珍しいことでも、バックパッカーとして周りから尊敬されるような、偉大なことでもないのです。
ちなみにロングトレイルの世界では、はじめから終わりまでを一気に歩くことを、through hike スルーハイク、そしてそれに挑んでいるハイカーをthrough hiker スルーハイカーと呼びます。JMTでも、「Are you a through hiker?」と何度も聞かれました。350キロとはいえ、やはり長距離のトレイルですので、体力や仕事の休みなど様々な理由から、スルーハイクではなく、何度かに分けて少しづつ、何年もかけて全行程を歩いていく、という人のほうが多いからでしょう。
そんなわけで、スルーハイク、しかもこれが単独となると、珍しさの度合いがちょっと高くなります。けれど、これも決して驚かれるようなものではなく、3週間のJMTで過ごした時間の中で、出会った単独スルーハイカーの総数は、12人を下らないと思います。
ここでちょっとつけ足しておくと、単独とは言っても、自ら望んで単独なのか、それとも仕方なく単独なのか、という違いは大きいかもしれません。かなりの長距離を歩く、ということは、長時間の休暇が必要とされるということで、それは誰もが望んで恵まれるものではなく、仲間や家族の都合がつかず仕方なく単独で歩いている、という方がほとんどだからです。そういう背景もあって、一人で歩いていると、反対方面からやってきたバックパッカーに「あなたの数キロ前に、他にも単独の女の子がいたよ。追いついて一緒に旅をするといいよ」なんて、親切な、しかしいらぬおせっかいを焼かれたことも、一度ではありませんでした。わたしの場合は自ら望んでの単独スルーハイク、しかも女、という点でも考慮すると、どちらかというと珍しいほうの部類になります。
どうして単独なのか、ということについては、なかなか深い話になるので、また改めてじっくり語らせていただくとして、ロングトレイルにおける、性別の比率はどうでしょうか。これはやはり、男性が半分よりもう少し上を占めているかな、というところですが、ひと昔前は、半数のみならず、おそらく80%以上が男性だったはずです。それというのも、ここ数年で、女性のグループ、そして単独の女性の姿も一気に増えたのです。


離婚、麻薬中毒、セックス依存症、母の病死、、、という数々の人生の苦難に面した挙句、なぜか突然思い当って、バックパッキングの経験ゼロにもかかわらず、ロングトレイルの究極と言える、パシフィッククレストトレイルを、全行程、しかも単独で歩くことにした女性の自伝が、ミリオンセラーになったのが数年前。『Wild-ワイルド』というタイトルで映画化もされたこの作品は、たくさんの若い女性の足を、バックパッキングへと向かわせました。日本では『わたしに会うまでの1600キロ』というタイトルで発表されているようです。大ヒット作品が登場すると、その勢いにのって同じような作品が次々と出版されるのは、日本と一緒。北米の本屋さんでは、女性長距離単独バックパッキング紀行の本のいくつかが、しばらく平積みされていました。空前の女性バックパッキングブーム到来!
え、わたしですか?読みましたよ、本。まわりのアウトドア好きの女の子たちが「これ、すごくいいよ!」と絶賛するので、そしてジョンミューアトレイルの様子について、女性のソロバックパッカーの視点から読めるかもしれない、との期待もあって、気づけばぐいぐい引き込まれて3日ほどで読み終わっていました。残念ながら作者がPCTを歩いた年は、残雪がひどく、彼女はJMTエリアでもあるシエラネバダ山脈を歩かずに迂回することになるので、この本からJMTの様子を垣間見ることはできません。そして!旧世代ワンゲルサークルで鍛えられ、山は、スキルと知恵と畏敬の念を常に心身に鍛えつつ、抱きつつ入るものである!という非常に硬い考えを持っているわたしにとっては、この本はエンターテイメントとしては面白いけれど、共感できない、軽薄で、2度目読み返すことはあり得ない、そしてこれに触発されて軽い気持ちで山や長距離バックパッキングにでかける若い女性が増えることは、とってもいただけない、というような代物でした。
日本でも、世界どこにいても、自然の中で癒される、森や山歩きで、ストレスや心の痛みがほっと消えていく、という人間の営みは古今東西共通で、結局はわたしたちはこの自然に生かされているのだ、そして表面上はどうあれ、人間はこの大自然に根っこから属しているのだ、と思い出したりします。自然の中に還る時間を折に触れて創ることは、わたしたちにとって、贅沢ではなく、必然なこと。自然ガイドとして10年以上情熱を燃やしたわたしです、たくさんの人に、自然時間を持ってもらいたい、自然とつながってもらいたい、という願いがいつも心の底にあります。
けれど、これが近所の森や、里山、週末に気軽に行ける低山の枠を超えて、突然何の予備知識もなく、長距離縦走や、アルパインクライミング、もしくは超ロングトレイルに飛び込んで行っちゃえ!しかもその理由が、人生が困難だらけでうまくいかないから、、、というのは、お角違いです。なんとまぁ、無責任な。山は上手くいかない人生から逃げすための場所ではないはずです。自然が好きだから、自然の中にいることがとっても嬉しいから、勉強して、調べて、準備して、まっさらな心で大きな旅に向かっていく、本来そういうものであるはずです。例えば星野道夫さん、ソロ―、そしてもちろん、ジョンミューアなどが高らかに歌う、自然賛歌の美しい文章に魅せられて自然の中に向かう人々よりも、『ワイルド』のような、軽い、しかしドラマチックでテレビドラマのような、しかしあまりに無防備で無責任なありように共感を覚えて、自然の中に向かう人々のほうが多いとしたら、現代という時代に少なからず危機感を覚えます。これがいまの、人間と自然の関係なのでしょうか?
JMT準備期間も、旅期間にも、何度か聞かれました。「あなたも、やっぱり『Wild』に触発されて歩いているの?」そのたびにわたしが、いやーな顔をしつつ「全然違います」と答えている様子は、きっと手に取るように想像していただけることでしょう。


そんな頭でっかちで、なかなかやっかいな硬派のわたしが、ジョンミューア、ヨセミテ国立公園、そしてJMTと出会うそもそものきっかけは、学生時代の大学の講義と、今は絶版になって久しい山と渓谷社の「outdoor」という雑誌の記事でした。ワンゲルサークルの活動を通して、山の中で自分を鍛えつつ、自然保護活動や環境教育活動に関わり、卒論研究もかねて、ヨセミテ国立公園へとひとり旅をしたのが、20歳のときでしょうか。2週間と短い旅でしたが、壮大なシエラネバダ山脈と、国立公園保護のシステムに度肝を抜かれつつ、JMTをいつか歩くぞ、と夢をもって帰国したことをよく覚えています。しかし、人生の紆余曲折と数々の幸運に恵まれた結果、カナダに移住して日本よりもぐっとJMTに近い距離に暮らすことになったにもかかわらず、そしてわたしの暮らす北米を代表する大山脈の一つ、カナディアンロッキーはバックパッキングのメッカでもあるのにもかかわらず、実際にJMTに出かけるまでに15年もの歳月が流れた最大の理由は、実はここ数年、バックパッキングはわたしの主なアクティビティではなかった、ということにあります。わたしが最も愛するのは、何を隠そう、ロッククライミング。一年に1、2度2泊程度のバックパッキングに出かけることはあっても、休日や長い休暇は、ほぼクライミングに費やしてあっという間に10年がたちました。JMTへの思いは常に心のどこかにあって、仲間に「近い将来歩くんだ」、なんて折にふれて宣言しつつも、その思いがクライミングへの情熱を超えることはありませんでした。それなのに、どうしてか今から2年ほど前、突然バックパッキングへの思いがよみがえったんですね。なんとなく、いよいよそのうちJMTに向かうんだ、と意識しだして、ガイドブックを購入し、2015年にはかなりの数の単独バックパッキングに出かけ、秋の休暇には、バンクーバー島のウエストコーストトレイル(通称WCT)に一人で出かけました。5-6日ほどで歩けるトレイルですが、単独で3日以上バックパッキングをした経験はそれまでなかったので、JMTを単独で歩けるかどうか、慣らし運転の旅として絶好のトレイルでした。


なぜ今になって、再びJMTへの思いが、よみがえってきたのでしょう?ざっくばらんに言えば、年齢と人生設計、という切っても切れない人生のしがらみが押し寄せてきたからに違いありません。気づけば三十路も半ばを向かえるころになり、子どもが欲しい、という願望がことさらに光り輝いて心に強く満ちている今、そしてその願いがかなえられる時間が、生物学的に少しずつ、しかし確実に終わりに近づいていると、ひしひしと感じる今、もしあと5年以内に子どもを授かることができるとしたら、今やらねば、ひとりでJMT全行程を歩く、という機会は、子どもが独り立ちするまで、つまり下手したらわたしが50代になるまで訪れない、という現実に気づいたのです。
というわけで、2015年夏、新しい仕事の面接の最中にわたしが雇い主にした質問の一つは、「来年の9月、まるまる休みをもらえるでしょうか。ジョンミューアトレイルを歩きたいと思っています。」
自らもアウトドアを愛してやまない、それどころかスキーの世界チャンピオンでもある雇い主の夫婦は、快くかつ興奮とともに快諾してくれ、新しい仕事がはじまりました。
しかし、その数か月後、出会ったんですね、運命の人に…。この人とこの後の人生をともにし、家族をつくっていくのね、と確信した運命の人に…。

2016年の9月丸ごと、JMTのためだったはずの休暇は、新しい彼とのバンクーバー島での2週間のシーカヤックとクライミング旅へと変更。けれど、それのどこが悪い?人生の波にのって、執着せず、柔軟に、その場で一番「そうあるべきだ」と思う最善の方向に向かっていくのは、ヨガスピリットにも裏付けられたわたしのライフスタイルです。このまま彼とゴールインして、JMTをひとりで歩く、という夢が達成されなくても、それがわたしの人生ならそれでよし。ともにバックカントリースキーに出かけ、音楽とダンスのコラボレーションを楽しみ、ヨガと瞑想の時間を共有し、子どものことや住みたい家についての会話も多く、わたしたちの関係は深く確実に、日々、未来へ向かって進んでいくようでした。いくつかの問題はあっても、時間と愛が解決するだろう、とわたしはいつものように、ひどく楽天的でした。ですから、彼と付き合って半年になる、7月の美しい夏の夜に、わたしのアパートに訪れた彼が突然「別れることにした。ひとりでいるほうがいいと気づいた」と宣言したとき、世界から光が消え、ひっくり返り、思考回路が真っ二つに壊れたことは、言うまでもないでしょう。驚き、困惑し、泣き崩れるわたしを残して、気づけば彼はアパ―トから消えていました。それですべて、あっけなくお終い!話し合いもなく、分かりあうこともなく、わたしを含め、これまでのすべてをゴミ箱に放り込み、彼はわたしの人生から去っていきました。深く愛した相手に、突然自分といるよりも一人でいるほうが良い、と宣言され、歩き去られることほど、傷つくことはありません。これまで数々のお付き合いと別れを経験したわたしですが、こんなふうに捨てられることは、初めてのことでした。
日常生活を送ることが困難になるほどの、激しい感情に襲われたとき、たいていわたしは、あえて日常の仕事や習慣をこなすことで、一番つらい時間を乗り越えようとします。麻痺した頭と心を引きずりつつ、わたしはいつものようにマネジャーとして、とりあえずは何食わぬ顔で働いていました。けれど、その時点までに、家族のように、近い、愛おしい存在になっていた、雇い主の顔を見たとたん、そして優しい言葉をかけられたとたん、子どものように号泣してしまいました。泣くだけ泣いて、あったかなお茶を囲んで、きらきら輝く夏の花と日差しに囲まれ、テラスで話を聞いてもらっていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、笑いながら冗談も飛ばせるようになりました。もつべきものは友、とはよくいったものです。


「あーあ、まったく、9月の2週間の休暇、予定なしでしかも独りぼっちになっちゃったよ。何したもんかなぁ。」
「あなた、9月はそもそもジョンミューアトレイルに行きたいって言ってなかったっけ。行きなさいよ。1か月休みあげるから。」
「えっ!それはとてもありがたいけれど、もう1か月半に迫っているし、そんな大きな旅に向けて準備や貯金してきたわけじゃないから、今回はあきらめるよ。ありがとう。」
「お金がない?わたしたちが飛行機チケットをプレゼントしたら、どう?行けそう?」
「えええ!?」
「決まり!明日にでもすぐ予約するから!」
「えええ!?」


ーしかし今は7月半ば…。9月に行くとして、これからたった1か月半で、ゼロから調べものをして、準備をして、350キロもの旅に出るってのは、無謀じゃないか?いや、待てよ、無謀かもしれないけど不可能ではない。しかも1か月の休みをくれて、しかも飛行機チケットまでって…そんな好意と幸福を逃すのは、罰当たりだ。きっとこの失恋には意味があったんだ。わたしは2016年、JMTに行くべきなんだ、そうだ、世界が声を大にして、行けと言っている!



「本当にありがとう。このご恩は一生忘れません、わたし、行きます!」


上の写真は、大失恋のわずが数日後に、ひとりで心の整理をすべく、地元の山に登りに行ったときの写真です。ほんとうに失恋したのかよ、という疑問が我ながら浮かんでくるくらい、すがすがしい青空と笑顔。
結局、恋愛というものの力、愛というものがもたらす幸福と、時に破壊、そして救いは、何千年前から変らず、人間の営みの、良くも悪くも起動力なんですね。古典文学、オペラ、数々のヒットソング、すべての主要テーマが、まずもって恋愛だというのも、ひとつの事実です。愛に打ちのめされ、しかし、また、愛に救われる。


しかし。


ーあ、あれ?これはつまり…わたしは大失恋したから、ジョンミューアトレイルに向かうのか?準備期間もそこそこに、憧れつづけた夢のトレイルに、こんなハチャメチャな状態で無鉄砲に向かうのか?えーと、『ワイルド』を読んだ後、なんて言ってたんだっけ、わたし…。


困惑しつつ、頭をかきつつ、しかし運命の歯車はぐんぐんと回りだし、波乱万丈かつ短期間決戦!な旅準備が、その日の夜中からはじまりました。